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豊川をさらに前へ 所信表明

マスコミはあくまで『傍観者』

地元豊川市の高校を卒業、大学進学を機に12年間東京で過ごしました。東京の便利さ、都会の刺激は魅力でしたが、やはり自分の人生は豊川市の発展に貢献するために使いたいと考え、31歳でUターン。東京時代にフリーの雑誌ライターをした経験を活かし、地元新聞社の記者として10年間、報道に携わりました。事件や事故、地方自治や選挙、まちづくりなど様々な現場で頑張る方々を応援。時には批判を繰り広げたことも。ただ、そこで感じたのは、マスコミは良くも悪くも『傍観者』であるということ。時にこれは、という記事を書いてもいまいち手ごたえがない。外野から文句を言うだけでは、社会は変わらないもどかしさを覚えました。いつか観客でなくプレイヤーになりたいと思うようになりました。

松井としみつ2

報道から福祉の世界へ

メディアを通じて不特定ではあるものの、多数の方々に情報を伝えることができるマスコミ。それに比べて影響を及ぼす範囲は狭まるかも知れないが、目の前に存在する一人ひとりの役に立ちたい。そう考え、40歳を過ぎた頃に記者を辞め、障害者就労継続支援B型事業所に転職。身体、知的、精神に障害がある方々が自分の可能な範囲で働き、賃金を得る場です。障害がある方と日常的に接するのは初めての経験で正直、最初は戸惑いもありました。しかし接していくうちに、障害があろうとも同じ人間、何も気負う必要はないんだと実感しました。遅ればせながらもせっかく福祉の世界に飛び込んだのだから資格を取ろうと、ソーシャルワーカーの国家資格、社会福祉士に挑戦。無事取得すると、資格を生かした相談援助業務を経験したい、また福祉のもう一つの柱である介護福祉の分野で経験を積みたいと考えるように。地域で高齢者福祉の窓口となる地域包括支援センターに勤務しました。そこで感じたのは、同じ80歳でも健康や体力、認知面の差は大きく、介護予防や認知症についての知識の大切さでした。

松井としみつ3

まず地方から変える

これまで、報道や福祉の分野で私なりにですが、精一杯頑張ってきたつもりです。しかし、現場レベルでできる努力には、どうしても限界があります。地方自治のルールづくりに携わる必要を感じました。現在、国内各地の自治体や民間企業、NPOなどで様々な分野で先進的な施策や活動事例が多数見られるようになっています。当初は、物議を巻き起こすような事例もありますが、数年後には自治体が理解を示して支援に回り、国がこれらを追認するケースもあります。つまり、たとえ小さなまちでも様々なチャレンジをすることで、そのまちだけでなく、他の地域にも良い影響を与え、ひいては国全体を住みやすくすることも不可能ではないと考えています。私もそうした取り組みの仲間の一人として加わり、貢献したいと考えております。